蛋白質の機能を化学反応として捉えることを可能にする生命現象研究 ピコバイオロジー:原子レベルの生命科学

「ピコバイオロジー:原子レベルの生命科学」は、平成19年度生命科学分野の13拠点のうちのひとつに採択されました。

これまでの研究経過と国内外での研究状況

 近年、大型放射光が世界各地に建設されるとともにタンパク質のX線構造解析技術にも長足の進歩があったため、タンパク質のX線結晶構造解析が多くの研究者にとって極めて身近なものとなり、続々と新しい成果が発表されている。これまでの生化学的(酵素化学的)方法による機能研究ではブラックボックス化せざるを得なかった反応過程の場をタンパク質の中で同定することが可能であるため、最近の、X線構造解析法のタンパク質機能研究への貢献の大きさは驚くべきものである。しかし、上述のようにタンパク質の機能を化学反応として記述(理解)しようとする目的のためには分解能が不十分である。

 赤外分光法は化学結合の振動を直接測定する方法として古くから知られており以前は有機化合物の構造決定の重要な手段の一つであった。しかし、近年はガスクロマトグラフィーや質量分析法の長足の進歩のため、化学分野での構造決定の主要な手段ではなくなっている。しかし、エネルギーレベル(化学反応性)を直接測定する方法としての重要性は化学の分野でも無視されているわけではない。しかし生命科学分野では、タンパク質系をはじめとして、高いバックグラウンドとなる水を除去すると、特殊な場合を除いて、本来の生理機能が大きく影響されるため、赤外分光法は適用できないと考えられてきた。なお、高濃度のタンパク質溶液を短い光路長で長時間スペクトルの積算を行って測定されている例はあるが、そのような実験条件でタンパク質の駆動する化学反応を追跡することは望むべくもなかった。ともかく、X線構造解析の限界を克服して化学反応性の解析に挑戦する試みは不思議なほど行われていない。その原因の1つはX線構造解析のもたらす三次元構造情報の印象深さに目を奪われて“やはり化学反応である。”という視点が忘れられていることにあると思われる。なお、可視―紫外域に吸収を持つ化合物の振動スペクトルは共鳴ラマン分光法によって非常に精密に測定することが出来ることがある。したがって、赤外分光法と共鳴ラマン分光法とは振動分光学の両輪といえる。

 ピコバイオロジーは構造生物学を質的に変換させ、飛躍的に進歩させることになり、ほとんど全ての生命科学分野に大きな学術的衝撃を与えるであろう。このような基礎科学分野への貢献は長期的にはあらゆる応用分野の発展を促すことは言うまでもない。しかし、上述のような高分解能のタンパク質構造研究は創薬分野にも直接的な貢献が期待できる。

 薬剤の標的タンパク質の立体構造は、そのタンパク質の機能を調節する薬剤の探索のために重要な情報を与えるものとして、製薬分野で注目されている。そこで、各製薬企業は独自にそれぞれの標的蛋白質の結晶化−高分解能X線構造解析への取り組みを開始している。しかし、高性能の赤外分光装置が開発されていないためピコバイオロジーレベルの研究は計画されていない。したがって、ピコバイオロジーの、創薬分野への波及効果は非常に大きいと予想できる。