見えないものを見る力


1999年1月下旬に八千代中学校で行われた中学校三年 生向けの特別授業(30分)の「要旨」とその「解説」 です。画像ファイルで添付した白いページの部分が「要旨」 です。ここ全体の内容すべてを受信した後、(必要ならPPP 接続を切って)下にスクロールしながらゆっくり読んでいた だければ、と考えて編集してあります。八千代中学校の授業 では、この「要旨」を見てもらいながらおおよそ「解説」に 書いたようなことをしゃべりました。(少し手直しをした部分 も含まれています)この「要旨」を見て、囲みの中の短い文章 をもとに、私がしゃべった内容を想像し、それから解説を読ん でみてください。

この場合、要旨の各ページの中で黒い四角で囲ったところが 一区切りですので、そこで次の囲みまで、どのような 筋でつながっていくのかをまず推理してみてくださいね。


−[1]−

授業の始まりは突然、「君たち、今まで借金したうちで一番 額が多かったのはいくらですか?」から始まりました。そ の後で、赤字国債の話とかをして、実は自分では借金をした つもりがまったくなくても、すでに皆一人一人が60万円 以上借金を背負い込まされているという話をしました。 この借金は、いつか必ず税金か何かの形で返さないといけない お金なんですね。こういったお先真っ暗の所からなんとか君たち が抜け出すには、これから説明する「見えないものを見る力」が すごく必要になるんだよという話もしました。訓練によって この力を一番伸ばせる時期は、実は中学生から高校生にかけて の頃なんです。

この力は色々な場面で活躍しますが、その一場面を見ていただく ために、例えば「ガラス窓」について考えてみましょう。数百年 も昔の日本で、まだ「ガラス窓」のない時代を想像してみてくだ さい。冬の昼頃だと思ってください。日は照っていますが寒い風 が吹いています。さあ家の中にいてどうやって寒さを防ぐでしょ うか?雨戸を閉め切るか、障子で風を防ぐかしかありませんね。 雨戸は確かに、風をしっかりと防いでくれますが、部屋が暗くな りますね。せっかく日が照っているのにもったいないですね。 その一方で障子は雨戸よりは明るいですが、ちょっと頼りない ですね。それに、いつミゾレがふりだすか、なんて考え出すと 不安になりますよね。それにせっかく日が照っているのに外の 景色も楽しめません。部屋が暗くならずに、しっかり風を防いで くれて、しかも外の景色が楽しめるものは?って考えると我々な らすぐにガラス窓が目に浮かびますね。でもガラス窓というもの を知らない人にとってはどうだったのでしょう? あるいは「風を しっかり防いでくれて、しかも暗くならず、紙より長持ちで外の 景色を楽しめるものなんてこの世の中にはありっこない、そんな ありもしないものを望むのは贅沢だ」なんて思っていたかもしれ ませんね。

はるか昔には、誰もガラス窓なんて知らなかったわけです。 それでも誰かが、ある時に、その時はまだ存在すらしなかった 「ガラス窓」というものをはっきりと「見た」わけです。 そして実際にそれを実現させたわけです。もちろんそういった ことすべてを一人がやり遂げたとは限りません。場合によって はその「見たもの」を世代を超えて受け継ぐ必要がある 場合もあったわけです。その場合は「見たもの」を渡す方だけ でなく受け取る方も同様の力を持っていないといけないわけ です。ここではこのように、ありもしないものまでちゃんと 見れる力のことを「見えないものを見る力」といっている のです。

ところで、君たちの中には「なんで大人たちが作った借金を自分 たちが負わなければいけないんだ?」と思った人がいるかもしれ ませんね。その疑問は正しい疑問なんですが、それに対する答え として「それはそれだけ国や社会といった全体のことをいつも考 えて行動することが如何に難しいかってことと深く関係している んだ」と釈明しておきましょう。

君たちだって、いくら教室が汚くてもみんなが気持ちよく勉強で きるように、たったひとりでも教室に居残って徹底的に掃除する ぞ!って中々思えないでしょう?先生か誰かが嫌われるのを承知 でみんなで強制的に掃除をやるようにでもしない限り教室はきれ いになりませんよね?汚いままだと、いつかゴミの中から虫が湧 いてきたりして自分たち、もしくは来年以降にその教室を使う君 達の後輩たちがひどい目に会うわけです。それとまったく同じこ となんです。大人の社会では最低限の法律以外は強制できるもの がほとんどありませんから、先生のいない教室と似たような状況 になりやすいんです。それに大人の場合、倒産や首にならずに自分 や家族がなんとか食べていくだけでも大変な世の中ですから、 なかなかまだ生まれてもいない子供たちの借金のことまで考える 余裕がないってのもわかる気がするでしょう?世界を見回すと、 国によっては借金が溜まりすぎて返せなくなり、他の国の信用を すっかり失って、食料すら売ってもらえなくなっているような、 完全に破産状態の国もあるくらいですから、これでも日本はまだ ましな方なんです。

それに、今まで日本人はこの「見えないものを見る力」があま り大事だと思わなかったことも大きな失敗の原因なのです。こ れを知った君たちなら、がんばってこの力を鍛えてきっとなん とかしてくれると信じています。どうか大人全員になりかわっ てお願いしますね。「なんとかこの膨大な借金を返して明るい 未来を築いてくださいね!」特に、借金のことで頭に来た君! どうかこれ以上の借金をさらに君たちの子供達に残さないよう がんばってくださいね。でなければ君も怒る資格がなかったね、 と言われてしまいますので。

この授業の最後のほうでは、この力があるとけっこうすごい ことができるんだよっていう話もしていますので、お楽しみ に。

−[1]の解説−

超能力と言ってもいいような力なんですが、実はこの力は、 ごく普通に皆が持っているんだ、ということを説明したか ったんです。例えば、私たちは頭がかゆければ、何気なく手 をそこに延ばして頭をポリポリとかきますが、生まれたて の赤ちゃんを観察してみるとわかるように、赤ちゃんにと ってこれは実に大変なことなんですね。時には顔中を傷だ らけにして頭をかいてたりします。それがいつの間に、そ してどのようにしてこんなに簡単に頭をかけるようになっ たんでしょうか?母親が教えたんでしょうか?例えば「頭を をかく時は、何秒前にどの筋肉をどれだけの力でどれくらい のスピードで動かせば...」なんて教えたんでしょうか? そんなわけありませんね。さらにそれより、もっと不思議 なのは、言葉を知らずに生まれてきたはずなのに、いつの まにか自分の母親をママなどと呼ぶようになることです。 ママという言葉と自分の母親とが結びつくことをいつどうや って理解したのでしょうか?誰かが言葉も使わずに教えた んでしょうか?自分がかつては赤ん坊だったことを考えて みるとこれって、すごく不思議ですよね?実はここにも その「見えないものを見る力」が働いていたんですね。


−[2]−

−[2]の解説−

この力と深く関わるのが「発見や発明をしたりアイデア を出したりする力」なんですね。発見、発明、とかアイ デアなんていうと、なにかとんでもなく大変なことのよ うな気がしますが、少し慣れてきて、とにかくアイデア をちょっとでも出せるようになると、もうそれだけでとて も楽しくなるものなんです。

ところで、「どうやったらそんな力をつけることができ るんだろうか?」って思いますよね?実はそれには図形 の勉強に出てくる「補助線」を見つける練習というのが とっても役に立つんです。その練習の時に大事なのは、 「この練習を楽しむぞぉ!」と思うことです。「嫌だなぁ」 とか決して思わないことです。すぐにできなくても、それ はそれでできないことを楽しむつもりになればいいんです。

こんなこと言うと「ゲッ!数学かよぉ」って言う人もきっ といることでしょうね。でもね、数学(特に図形を調べる 幾何)という教科は勉強の仕方(遊び方)ひとつで天国に も地獄にもなるものなんです。

例えば、いくら面白そうなゲームでも「全部で300ページ のこのマニュアル本に書いてある裏技を今すぐ全部覚えなさ い。それからその技を全部使って、この新しいRPGゲーム を始めたら、その後30分以内にファイナルステージまでや りとげなさい。できない場合は今晩は徹夜で特訓ですよ!明日 も明後日も、これから10年間はこの部屋から出ないで、ずう ーっと同じ事を繰り返すんですよ」とかって脅されたら、もう それだけでも、いつもは好きなゲームのはずなのに、嫌になって しまいそうでしょ?それと数学も同じなんです。嫌々やらされる と益々嫌になるし、逆に自分から楽しんでやるとめちゃくちゃ 面白い。もし、君が「ゲームの特訓だったら、例え徹夜でも苦に ならない」とかいうようなら、それは君が数学でも人並み以上 に発揮できる能力をちゃんと持っているっていう証拠なんですよ。

実はやってみるとわかるんですが、幾何でもすごい問題 (普通は「定理」と呼ばれる誰かが発見した結果を問題に していることが多いです)に巡り合ったときには、まるで 神様が創ったものとしか思えないようなものに出会ったよ うな感動があります。ゲームに例えるなら神様が創った スーパーRPGゲームといった感じです。ほんとうに ハマリますよ。

幾何がとっても面白いものなんだということのひとつの 証拠をお見せしましょう。今から80年以上昔の大正時代 に秋山武太郎という人が書いた「幾何学つれづれ草」と いう本の最初の所に載っている詩です。昔の人が書いた詩 なのでちょっと古臭くてわかりにくいかもしれませんが、 ものすごくスケールのでっかい詩です。すぐに意味がわからな くても、なんとなく、この秋山さんの幾何への強く熱い思 い入れが感じられるんじゃないでしょうか?


−[3]−

「幾何学つれづれ草」より

秋山武太郎作

−[3]の解説(現代語訳)−

幾何学をたたえる詩(うた)

この大宇宙の中で一番小さなものを捜し求めてみよう。

そう、この点なんだよ! これなのさ!

僕の幾何学が今、始まる。

さあ、この点が動きはじめるよ!

ひとつの向きに動いていくと線ができる。

ふたつの向きに動いていくとほら、面ができるよ。

みっつの向きに動いたら今度は立体ができるね。

ほら、見てごらん!幾何学のこの不思議な大空を。

平行線は天の川かな?

同心円は月の輪かな?

流れ星のように点の動いた跡ができていくよ。

推理していると、何十本もの直線が、

そして何個もの角が、僕の前を通り過ぎてゆくんだ。

そのどれもが自然界の真理をあらわに示してくれるよ。

尽きることのない鉱脈を砕いて金を取り出す、

つるはしを止めて、ふと思うんだ。

真理は不滅の大きな山なんだ。

その絶妙さは自由な雲となり世界の果てまでも流れていくよ。

尽きることのない不思議な魅力に満ちたこの大海に

ああ、どのような人達が船出していったんだろか?

彼らはその遥かな帰り路を顧みることさえしなかったんだね

もしピタゴラスの定理が知られてなくて、

相似の理論もなかったなら、

いったいどんな科学がこの世の中にあったというんだろうか?

この世でもっとも優れた、最高の真実である幾何学を、

この世でもっとも純粋で、もっともうまくできている幾何学を

ああ、僕はどうやってほめたたえたらいいのか?

ああ、僕はどうやってほめたたえたらいいのか?


−[4]−

ここでついでにニュートンが書いた「プリンシピア」という 本(講談社から中野猿人という方の訳で本が出ています)を ちょっとのぞいてみましょう。ニュートンが発見した万有引力 の話なんかが書いてある本です。

−[4]の解説−

フフフ (^-^)。どうです?なんか「万有引力」というよりは「幾何」の 本みたいでしょ?


−[5]−

「ところで、補助線ってなんだっけ?」という人のために ちょっと復習しておきましょう。三角形のみっつの角 の大きさを足しあわせると180度っていう話があり ましたよね。どんな三角形を持ってきても、そうなる ってところが不思議でしたが、どうやってそのことを 確信できるかというと、次のような線を一本ひくんで したね?

−[5]の解説−

ここで、この一本の線の役割をよく考えてみましょう。 ここに一本、線を引くことで「平行線の錯角は等しい」 という性質が使えるようになり、「みっつの角の和」が 一目でわかるようになりますね。このように知っている 知識が結びついて、目標としていたことがわかるように お膳立てするのが補助線なんです。問題なのは、どこに どのような補助線を引いたらいいか?っていうのが最初 はどこにも書いてないということなんです。(問題の ヒントとして補助線が最初から描いてあるのは除きますね) 特に幾何を習いはじめた頃は、なかなかどこに補助線 をひいたらいいのかわからなくて悩むんです。

それで、受験勉強なんかでは、時間がもったいないから と言って、ろくに考えもせずにたくさんの問題の解き方を 覚えようとします。でも、これをやってばかりいるといつまで たっても「見えないものを見る力」がついてこないんです。 この力を持つことができない人はまずいません。日本語を しゃべることができる人なら絶対にできます。問題は その力を強める訓練や努力を自分でしようとするかどうか?です。 不思議なことにその気になって楽しみながら訓練をして いくと、簡単な問題ならそれを見た瞬間に、ないはずの 補助線がスッと見えるようになってきます。もちろん難し い問題であればあるほど見えるまで時間がかかりますが、 それも訓練次第でかかる時間も短くなっていきます。

ただ、もちろん受験勉強のことは忘れるわけにもいきませ んよね?そこで提案なんですが、受験に出そうにない幾何 の問題を、趣味としてやってみてはどうでしょうか?

それからもうひとつ。補助線の引きかたは一通りとは 限りません。とにかく問題が解ければいいんです。 数学は答えがひとつだからツマラナイと考える人もいます が、それは大きな間違いです。ひとつの問題についていろいろな 補助線の引きかたを考えてみるというのも結構面白いんですよ。 特に誰も考え付かないような補助線が引けるようになった ら、それは「見えないものを見る力」がすごくついてきた 証拠なんです。


−[6]−

そんな問題の一例となるトレミー(Ptolemy)の定理を挙げておきますね。 ゆっくりと時間をかけてかまいませんから、下の図のように 円に内接する四角形ABCDについて、いつでも等式:

AB・CD+AD・BC=AC・BD

がなりたつことを示してください。楽しんでチャレンジしてみてくださいね。 「三角形の相似条件」や「円周角の定理」を知らない人は、始める前に、 それらがどんなものか調べてから始めてください。鍵は、どこに補助線 を一本引くか?ですよ。解けるまで半年くらいかかるかもしれない、と 気長に考えて挑戦してみてください。


−[7]−

このトレミーの定理がどれだけすばらしい定理か納得してもらうために、 この定理からピタゴラスの定理が出てくることも見ておきましょう。

−[7]の解説−

要点は与えられた直角三角形を2枚用意して長方形 を作り、対角線の交点を中心とする円に内接している ようにします。そこでトレミーの定理を使えばOKです。


−[8]−

試験にはでないような、面白い問題(定理)がたくさん 載っている本を2冊紹介しておきます。安心して楽しめますね。


−[9]−

最後に

これは先日テレビで放映されていた話です。 ジェローム・レメルソンというアメリカ人 が考案した「自動組み立てシステム」とい う特許があります。現在では多くの工場が このシステムによって製品を作っています。 そのためこの特許使用料だけでレメルソン には毎年、毎年100億円ずつお金が入っ てくるのだそうです。日本の平均的なサラ リーマンの生涯にわたっての総収入は3億 円前後ですから、いかにこのレメルソンの 特許の収入がものすごいかわかりますね。 こうなると気持ちも大きくなってしまって 60万円ぐらいの借金でガタガタ言うなって 気になっちゃいますねぇ。(^o^)b

実はこの特許を生み出す力と幾何の勉強が 非常に関係が深いことも統計的な研究で示 されているそうです。特にイスラエルという 国においては、このことが政策としても認め られていて、幾何の勉強する時間を積極的に 増やしてすでに情報産業関連の特許の増加と いう形で成果も上がっているのだそうです。

最後にひとつ。数学者って仕事はアイデアが 非常に大事な仕事で、この「見えないものを見る 力」が超人的に強い人などもたくさんいます。「それ じゃぁ?数学者は大金持なの?」って質問が出るかも しれませんね。へへへ、鋭い質問すね(^-^;;。もちろん お金持の人も結構いるのですが、お金に無頓着な人、 あまり関心を持たない人もかなりたくさんいます。 350年ぶりにフェルマー予想を解いたワイルズ先生は、 あるアメリカの大金持ちから何千億円という自分の全財産 をあげるから、自分の名前をフェルマー予想を解いた人達 の名前に加えてくれと言った時に、躊躇せずに即座に断った そうです。すごい話ですねぇ。

いろいろな話をしましたし、この「見えないものを見る力」 の御利益(ごりやく)は確かにたくさんあるんですが、結局 は「面白いから!」っていうのが私が皆さんにお薦めする 最大の理由なんですね。数学者にも、あまりに面白いので お金にはまったく興味がわかないなんて人もけっこう いるんです(もっとも、お金がまったくないと研究も できないし、生きてもいけませんけど)。それくらい 面白いんです。そしてそう思うのがこの力を身につけ る上でも一番の近道なんです。


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